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戦後75年…日本兵の性暴力を伝える女性の証言は記憶にとどめられるのか

(2020年10月26日東京新聞に掲載)

 中国人映画監督の班忠義(はんちゅうぎ)さん(62)が、戦時下の中国で日本兵から性暴力を受けた女性の被害を記録し始めて25年がたった。中国各地を取材して分かったのは「戦争は女性の体まで戦場にしてしまう」という事実だった。女性たちの証言はドキュメンタリー映画「太陽がほしい」として発表されたが、加害の歴史をゆがめる言説があふれる今、絶望の中から真実を伝えようとした声は人々の記憶にとどめられるのか。班さんに聞いた。 (佐藤直子)

「加害を否定するフェイクニュース、悲しい」

 「日本の政治家は『女性はいくらでもうそをつける』と言ったけれど、なぜ性暴力の被害者がわざわざウソをつくの。中国の女性たちが私に語ったこともウソだというの」

 今月半ばのインタビューの日、班さんは自民党の杉田水脈(みお)衆院議員の発言に怒っていた。9月に開かれた同党の会合で、女性の性被害や性暴力に関して「女性はいくらでもうそをつけますから」と発言したことに対してだった。世論の批判を受けて発言の事実を認めた杉田氏だが、自身のブログで「女性を蔑視する意図はなかった。女性のみがうそをつくかのような印象を与え、不快な思いをした方にはおわび申し上げる」と釈明しただけで、発言自体は撤回していない。

中国女性の声を聞き取った四半世紀を語る班忠義さん=8月、東京都千代田区=千代田区内幸町で

中国女性の声を聞き取った四半世紀を語る班忠義さん=8月、東京都千代田区で

 杉田氏は慰安婦をめぐって以前から、「軍や官憲による強制連行の証拠はない」「性奴隷というのは事実ではない」などと主張してきた。班さんは「杉田氏だけでなく、ネットの書き込みや会員制のサイトにも、日本の加害を否定するフェイクニュースがあふれている。憤りを超えて悲しいですよ」と繰り返した。

祖国の女性の衝撃的な証言をきっかけに

 班さんが旧日本軍の性暴力問題に取り組むようになったのは、今から28年前にさかのぼる。1992年12月、当時、東京の大学に留学中だった班さんは、東京で開かれた「日本の戦後補償に関する国際公聴会」に、中国からただひとり参加した万愛花(ワンアイファ)さん(2013年死去)を知り、「私は日本兵から激しい拷問と性暴力を受けた」という証言にショックを受けた。

戦時中の被害について語る万愛花さん=1995年8月、山西省太原市の自宅で(班忠義さん撮影)

戦時中の被害について語る万愛花さん=1995年8月、山西省太原市の自宅で(班忠義さん撮影)

 満州事変を足掛かりにして中国大陸に侵攻した日本軍は、1937年の盧溝橋事件で中国と泥沼の戦争に突入。八路軍がいた北部の山西省を占領した。そこで16歳の万さんも抗日活動の協力者とみられて捕まり、髪以外の体の毛を全部抜かれる拷問を受けたり、監禁され、強姦(ごうかん)・輪姦を繰り返されたりした。

 班さんが育った中国東北部の遼寧省撫順市も、抗日ゲリラと通じているとみなされた集落の住民が多数殺害され(平頂山事件)、子どものころから日本軍の残虐さを聞かされて育った。だが万さんのように性被害を語る人は知らなかった。

 80年代に民主化を経験した韓国では、91年に金学順(キムハクスン)さん=97年死去=が「私は元慰安婦だった」と名乗り出て、その後、国際問題に発展するが、中国では社会体制の壁もあって、公に提起されることはなかったからだ。中国の女性たちが尊厳回復のために日本や中国の弁護士や市民の支援を受けて裁判を始めるのは95年以降のことだ。

荒涼とした大地に住む女性たちを何度も訪ねて

 大学でジャーナリズムを学んだ班さんは、祖国の女性たちの過酷な歴史を記録しようと決意。95年、万さんが被害を受けた山西省盂県進圭村を訪ねた。

 そこは荒涼とした黄土の大地だった。その残虐さから、中国側から「三光作戦(焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす)」と呼ばれた軍事作戦が展開された地で、進圭村には日本軍の拠点のひとつがあった。

 調査には地元の小学校教師、張双兵さんが協力してくれた。盂県には万さんのほか、三十数人の被害者がいることが分かった。女性の家を訪ねても、すぐに話をしてもらえるわけではなかったが、心を病んだり性病などに苦しんだりしていることを知った。身を恥じるようにして生き、貧しくて医療も受けられない女性たちに、班さんは毎年、日本で集めたカンパを届けた。「そうやって2度、3度と訪ねるうちにやっと、家族にも話していない記憶をたどってくれたのです」

「女性の体が戦場になるのは民族を超えて共通」

 振り絞るようにして語られた話は、どれもが耳をふさぎたくなるような内容だった。多くの女性が1941年ごろから、10代から20代で被害を受けた。家や野原、洞窟の中でレイプされた後に日本軍の駐屯地に連行され、「ヤオトン」と呼ばれる黄土の壁に横穴を掘った住居や、民家に監禁された。それは、日本軍が施設の一部として管理した「慰安所」とは違う。「日本兵が日夜かまわずやって来てはレイプを繰り返した。見張りがいて部屋の外に出られるのはトイレのときだけ。食事も十分でなく、まさに性奴隷の状態でした」と班さんは言う。

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戦後75年…日本兵の性暴力を伝える女性の証言は記憶にとどめられるのか

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