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人類に初めて原爆が投下されて75年、記憶を受け継ぐ若者たち

(2020年8月7日東京新聞に掲載)

 被爆から75年。新型コロナ禍の中、広島は6日、「原爆の日」を迎えた。感染拡大を防ぐため平和記念式典は縮小され、首都圏にも広島行きを断念した人がいる。節目の年のこの日を都内の被爆者、反核関係者、そして都民はどう受け止めたのか記録する。(安藤恭子、木原育子)

朝に浮かんだ「お月さん」

 「75年前、人類に初めて原爆が投下されました。決してあってはならないことです」。8月6日朝、東京・八王子駅前の公園。うだるような暑さの中、3歳6カ月の時に広島で被爆した上田紘治さん(78)=八王子市=が「今日は多くの人に広島に思いを寄せてほしい」とマイクを握った。核兵器の廃絶を求める「ヒバクシャ国際署名」を集める活動の一環だ。

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街頭で反核兵器を訴える上田紘治さん=東京都八王子市で

 原爆投下の瞬間は、爆心から10キロ離れた疎開先の縁側にいた。本を読んでくれていた祖母と閃光を見た。米軍が計測のために落とした落下傘が空に浮かび、上田さんは「お月さんだ」と声を上げた。いずれも上田さんは覚えていない。後に祖母らから聞いた話だ。数日後、家族と共に爆心まで400メートルの自宅跡に戻ったことで被爆した。

 就職のために18歳で上京。電機会社で営業の仕事をしながら、平和運動に関わるようになった。市民有志が運営する「八王子平和・原爆資料館」の共同代表を務め、国内外の会議や講演にも出向いてきた。

 「真珠湾攻撃を思えば、太平洋戦争は日本が仕掛けた戦争でもある。被爆者としてお話しする際は、日本は被害者であると同時に、加害者でもあるという両面を意識して話してきた」

生き延びても悔い

 被爆の実相は恐ろしい。爆風で瞬間的に気圧が下がり、飛び出した自らの眼球を手に持つ人や、内臓が破裂した人がいた。傷からは大量のうじ虫がわく。「痛い」と泣き叫ぶ負傷者の救護に当たった母のハツコさん(故人)は、薬もなく、うじ虫をはしで取り除くしかなかった。「水をください」と、足にすがりつく人たちの姿を見た被爆者らには、自分が生き延びたことへの悔恨がある。

 「私は原爆当時の記憶がないから、まだ良かったかもしれない」と話す上田さんもがんを2回発症した時や、子や孫が生まれた時に放射能の影響が頭をよぎった。「被爆者はみな、不安を抱えて生きてきた。被爆の実相を知るほど、核なき世界を願わざるを得ない」

 国連では核兵器禁止条約が採択され、非保有国のアフリカや中南米など40カ国・地域が批准している。原爆投下後に降った「黒い雨」の降雨地域を巡る訴訟では、被爆者健康手帳の交付を求めた原告側の勝訴判決が出されたばかりだ。「こうした今の動きへの希望も含め、核軍縮ではなく、廃絶を訴えていく。それが被爆者としての私の使命です」と上田さんは述べる。

コロナで例年の広島訪問も中止

 署名活動は市民団体「原水爆禁止八王子協議会(八王子原水協)」が主催した。広島と長崎に原爆が投下された日に合わせ、毎月6日と9日の街頭署名活動を何十年も続けている。例年は10人ほどのメンバーが広島に出向き、カンパや千羽鶴を届けている。今年はコロナ禍で中止。署名活動も時間を大幅に短縮した。

 会長の村田澄男さん(72)は、署名テントの設営準備をしながら式典のラジオ中継を聞き、犠牲者に黙とうをささげた。「日本が米国の核の傘に守られている現状はおかしい。コロナで制限は多いけれど、一人一人が今できる行動を起こすことが大切じゃないか」と述べてうちわをあおいだ。

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「戦争の記憶と記録を語り継ぐ映画祭」の準備をする御手洗志帆さん=東京都江東区で

号泣する男性に衝撃を受け

 都内では6日、各地で戦争や原爆を取り上げたイベントが開かれた。

 午前9時、番組製作会社ディレクターの御手洗志帆さん(32)=豊島区=は、江東区文化センターで開催中の「戦争の記憶と記録を語り継ぐ映画祭」の受け付け準備に追われていた。

 広島市出身。小学2年の時、語り部の男性が号泣しながら語った被爆体験に衝撃を受け、映像の世界に飛び込んだ。母校の安田女子中高(旧安田高等女学校)に立つ慰霊碑に刻まれた315人の女学生の軌跡を追った番組は、大きな反響を得た。

 「語り部さんの思いをもっと正面から受け止めたいと思ったのが原点。若い世代だからと無知を恥じ、恥じることを恐れて遠ざかるのではなく、知らないことを知っていく楽しさを持ち続けたい

 神奈川県平塚市の織田正雄さん(74)は、映画祭でこの日に上映された「愛と死の記録」を見に来た。原爆がテーマの作品だ。織田さんは「若い世代が平和への思いを継承しようと必死な姿に応援せずにはいられないよ」と目を細めた。

よみがえる75年前の記憶

 午後2時、文京シビックセンターでは、広島で被爆した村山季美枝さん(80)と谷吉洋子さん(78)=ともに文京区在住=たちが、「原爆の図」を前に黙とうをささげていた。

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原爆の図展の会場で黙とうする村山季美枝さん(左)と谷吉洋子さん。二人は広島で被爆した=東京都文京区で

 村山さんは「幼い時のかすかな記憶が一気によみがえった」と言葉少なに語る。谷吉さんは被爆体験を覚えていないが「親や兄弟はどんなに大変だっただろうか」と推し量る。

 「原爆の図」は画家の故丸木位里・俊夫妻が1950~82年にかけて共同制作した作品だ。文京区の原爆被害者友の会「文友会」は毎年、この時期に作品を展示している。

 服が燃え落ち、皮膚が垂れ下がってふらつきながら歩く被爆者を描いた「幽霊」。表情のない赤子を抱く母の姿や死体の山を描いた「水」。「原爆の図」から、そんな原爆の被害を描いた作品が並んだ。フランス国籍で、国分寺市に暮らすライターのピエールさん(40)は「言葉が出ないほどの衝撃を受けた。核の怖さを思い知った」とぼうぜんとしていた。

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人類に初めて原爆が投下されて75年、記憶を受け継ぐ若者たち

東京新聞 特報Web

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